おとちゃんが旅立った日のことを書いておこうと思います。
その前に、その前のおとちゃんの様子から。
足腰が弱り、バランスを崩すことが増えていました。
動きを制限して、狭い場所で生活させたほうがいいのかと考えたこともあったのですが、
近くに食べ物を置いて様子をみても
今までの場所まで出てきてそこで食事をとろうとするので
おとちゃんの意思にまかせて行動範囲を狭めることはしませんでした。
バランスを崩して物に突っ込んで怪我しては大変なので
クッションやマットなどでガードしました。
盲腸糞を足の裏など身体にくっ付けてしまったり、
おちっこでシッポの裏側が汚れていたり
お尻や足を洗われる日もありましたが
おとちゃんは洗われるのは嫌いでした。
嫌なことしてごめんね。
数日前までは、朝起きていくと
乳酸菌を「くれくれ」とおねだりして
足に纏わりついてくるのがお約束だったのですが、
飛び出てくることがなくなりました。
食事を用意しても、時間をおいてから食べたり
食事も残すようになりました。
億劫になったような
気が弱くなったような
生気が失われていくような・・・
私が覚えているおとちゃんの最後の食事は
私の指についたスタミノールをペロペロと
力なく舐めたのが最後でした。
16日の午前中、旦那サンは歯医者さんへ行き
暫くして私は日課のウォーキングへ外出していました。
ウォーキングしている時に歯医者さんから帰宅した旦那サンから
「おとちゃんが・・・・・」と連絡が入り
『待ってておとちゃん』と祈るような気持ちで全速力で走って家に戻りました。
私が家を出た時は、おとちゃんはベッドにもぐっていて
旦那サンが帰宅した時もベッドにもぐっていたそうです。
旦那サンの話では、その後ベッドから出てきてウロウロしていたので
水を飲みたいのかな?と思って水をやろうとしたけど飲まずに
私の椅子の下で倒れたという話でした。
たぶん、私を探したのだろうと・・・。
慌てて帰宅して、椅子の下に倒れているおとちゃんに声をかけると
頑張ってカラダを起こそうとしてきました。
自力では起き上がれないので、そーーーっと近くに寄せると
脚の間に入り太もものところに顎をのせていました。
最後の力を振り絞っているおとちゃんに
頑張れなんて声はかけれませんでした。
「頑張ったね、頑張ったね」と
「うん、うん、辛かったね」と30分近くそうしていたと思います。
その後、おとちゃんはタタッと脚の間から抜けると
一度も使ってくれなかったフカフカし過ぎるベッドに
自分から入り横たわって旅立っていきました。
よけて置いたベッドがたまたまその場所にあったのですが、
自宅の真っ白のフカフカのベッドで旅立つなんて
人だったら理想かも・・・と後で思いました。
旦那サンと私に看取られて、おとちゃんは旅立っていきました。
おとちゃん、ありがとう。
一歳の時のものですが、私の椅子の下のおとちゃん
延び延びになっていた大規模修繕工事が始まります。
おとちゃんへのストレスを考えると心配していました。
おとちゃんは何か感じ取っていたのでしょうか・・。
私の心配が伝わってしまっていたのではないかとか
考えても仕方のないことなのに。
おとちゃんが不安のない日々を送っていますように・・。